Kaito a.k.a. Hiroshi Watanabe(CD) Nokton
商品No: | 25407 |
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メーカー
レーベル: |
COSMIC SIGNATURE |
タイトル: | Nokton |
アーティスト名
種別: |
Kaito a.k.a. Hiroshi Watanabe |
商品番号: | CSCD-1001 |
価格
¥2,300(税抜)
(¥2,530 税込)
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Noktonと題した今作品はいつもとは中身の違ったコンセプチュアルなKaitoのニューアルバム。
前作 Until the end of timeから既に6年が経ち今表現したい感情を一台の楽器を通じて露わにすべく挑んだ新生Kaitoスタートの序章。
アルバムタイトルのNoktonは夜を意味し、人の心が特に揺さぶられる日の沈んだ時間、それは時に、激しく、優しく、切なく、悲しく、暖かく、心の揺らぐ特別な時空。自らの意識と音がコネクトし完全同期が芽生えた時、初めて音には魂と息吹が吹き込まれる。音を通じて自分を丸裸にして見たくなったのかも知れない。原点回帰とも言える。
Noktonとはそんな思いから出来上がったアルバム。
次に繋がるKaitoの6作目となるフルアルバムは既に楽曲も出揃い準備も出来上がる段階にある中、再始動をする序章としてこの作品を先ずは打ち出しておきたかった。
過去のリリースの中でも最も異色な今作は単なるアンビエントではなく、感情を揺さぶりつけるメランコリックなサウンドスケープ。
いま生きている証しを刻み込みたかった音。
HIROSHI WATANABE (COSMIC SIGNATURES, KOMPAKT, TRANSMAT)
Tracklist
1. The Never Ending Dream (Nokton1-1)
2. Passing Through Darkness (Nokton1-2)
3. Concentrate On The Next Step (Nokton1-3)
4. Be There (Nokton1-4)
5. The Human Heart (Nokton2-1)
6. Follow Me (Nokton2-2)
7. Chaser (Nokton2-3)
8. Someone I Care a lot About (Nokton2-4)
9. Become You Yourself (Nokton2-5)
10. Nothing Else (Nokton3-1)
11. Inverted Sight (Nokton3-2)
12. Time Flower (Nokton3-3)
13. It Is (Nokton3-4)
Kaito「Nokton」レビュー
OTAIRECORDようすけ管理人
【Kaitoとの出会い、そして、今こそ問いかけたい。】
kaitoことHIROSHI WATANABEに初めて出会ったのは、もう10年以上前の事だ。
今や伝説のDJ機材メーカーVestaxが毎年主催していた「International Product Meeting」であった。
このミーティングでは欧米、アジアなどを中心に各国の音楽機材ディーラーを中心に世界各国から代表が集められ、音楽機材についてディスカッションをするというものだった。
当時私の経営するOTAIRECORDという会社はまだまだDJ業界の中では弱小企業であったし、そういった会議に日本代表として呼ばれた事は大変光栄なことだった。
会議に出ると円卓にズラっと各国から呼ばれたMUSIC MASTER達がずらっと着席していた。
私は経験もなければ英語力も中学生レベルで、ディスカッションどころか他の参加者の発言を一言も漏らさないように聴くことに必死で、はじめは何も貢献できなかったことを記憶している。
その中で同席した私よりも数個年上のある日本人が、自身が開発に携わったVESTAX TR-1という機材を出席者にプレゼンしていた。HIROSHI WATANABEである。
プレゼンしている時の彼の真剣なまなざしを今でも昨日の出来事のように振り返ることができる。
彼は、アメリカのバークリー音楽院出身ということもあって、堪能な英語で、TR-1の設計について説明していた。
TR-1というのはPCDJのコントローラーである。
ミックスに主眼を置いて、それ以外の不要なものは徹底的にそぎ落とされた、伝説のDJコントローラーである。
その象徴の一つがジョグダイアルのない事である。
そこについて異論を唱えた海外のあるディーラーが何人かいて、彼は熱をこめてプロダクトに込めた思いを提案していた。
今思えば天才の作ったプロダクトについていけない人間が複数いたのは、それだけHIROSHI WATANABEが突き抜けた感性を持っていたんだと思う。
私は心の中で異論を唱える人間に対してTR-1の凄さをどうすればわかりやすく説明できるのだろう、と考えながら彼の隣に黙って座っていた。
しかし、私はついに何も発言できなかった。
会議が終わった後HIROSHIさんに、日本語で自分は絶対この機材凄いと思う、と話しかけさせていただいた。
当時どうしようもない田舎者の野良犬だった私にHIROSHIさんは同じ目線でお話ししていただいた。
それ以来音楽に対しての思い、DJに対しての感覚など、ことあるごとにHIROSHIさんにぶつけてきた。
すると、いちいち2,3周回先を廻ったような答えが返ってきた。
彼の表現に対する思い、シーンに対する考え方は、確実に音楽人である私を育ててきた。
●
私は今本人に頼まれもしないのにHIROSHI WATANABEことKAITOの新作アルバムについてレビューを書いている。
それはあの時の「International Product Meeting」で、なしえなかったHIROSHIさんの凄さを代弁できる機会だと自分から希望して書いている。
いや、レビューを書いているというよりも、WATANABE HIROSHIという宇宙に対して問いかけることを楽しんでいる、といった方が正確な気がする。
【トラックメイクが市民権を得たなんて大ウソだ。】
「前作 Until the end of timeから既に6年が経ち今表現したい感情を一台の楽器を通
じて露わにすべく挑んだ新生Kaitoスタートの序章。」
ということで、Kaito名義の6年ぶりのアルバムが完成した。
ファンには待望の作品が令和新時代に着陸した。
作曲機材の発達により、今やだれでもできるトラックメイク。
ハードウェア、ソフトウェアの進歩により、圧倒的に製作時間が短縮され、毎日のようにこの地球上にいろんな楽曲が誕生している。
そして、それをすぐにSNS等で世界中に送り届けられる世の中。
そのスピード感は、10年前とは様変わりしている圧倒的なものだ。
爆発的に増える楽曲の中でそれに伴って様々な音源がリリースされている。
トラックメーカーの選択肢も圧倒的に増え、どんな世界観もすぐに手軽に表現できる世の中。
そんな中でKaitoの新作アルバム「Nokton」は、あえてシンプルで最低限の機材を用いて製作されている。
これは、今のコンビニエンスにあふれかえった楽曲の時代において非常に示唆に富んでいる。
Kaitoはアルバム全編にわたり限られたシンセサイザーのパラメーターをじっくり変えてそれを歌わせている。操っているのではなく「歌わせている」のだ。
今のトラックメイクのトレンドは数多くの音色の中から自分好みなものを選んで並べていくパターンがかなり多い。
だから、楽曲づくりもキュレーション(情報を収集してまとめあげる)スタイルが全盛といえる。
しかし、キュレーションスタイルが流行れば流行るほど、シンセのパラメーターをじっくり動かしながら、自分好みの音を作っていくという作業からは遠のいていく。
一つのシンセや機材についてじっくり付き合うこと自体が希薄になっている。
Kaitoの今作での表現はエフェクターのDELAY一つとってもTIMEの使い方が洗練されている。さらに、ADSR、フリークエンシーそして音程、そのすべてが自由だ。
電子音が自由に歌っている。
そしてその向こう側に確実に「人間」を感じる。
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「人間」とはなにか、Kaitoは次のように語っている。
「アルバムタイトルのNoktonは夜を意味し、
人の心が特に揺さぶられる日の沈んだ時間、
それは時に、激しく、優しく、切なく、悲しく、暖かく、心の揺らぐ特別な時空。
自らの意識と音がコネクトし完全同期が芽生えた時、
初めて音には魂と息吹が吹き込まれる。」
最近の楽曲制作において、「楽器ができなくても楽譜が読めなくてもDTM(デスクトップミュージック。パソコンによる打ち込みスタイルの楽曲制作のこと)は手軽にできる」というような下りをよく耳にする。
しかし、それはKaitoの本作を聴くと大ウソである。トラックメイクが市民権を得たなんてこの作品を耳にすれば、そのキャッチコピーが音楽業界の宣伝文句にしか思えない。
コンピューター及び電子音を使った楽曲制作は確かにイージーになった。
TVの企画で「5分間でトラックを作る」とか、そういう類のスピードを売りにした企画もよく目にする。
しかし、このアルバムの前では、そういった表現はコンビニの弁当にしか思えない。
コンビニの弁当はそれはそれで素晴らしいと思う。彼らはちゃんと工夫をしているし、それが多くのユーザーに受け入れられているのも事実である。
だから、コンビニエンスなことがシーンをだめにしているというつもりは毛頭ない。
しかし、Kaitoの作り出す料理は、もはや芸術になっている。
文字通りそれらとは、一線を画している。
Kaitoの本作「Nokton」は、本当に素晴らしい料理をいただくときと同様に、どういうシンセを使ってとか、パラメーターの値はどうなっているかとか、そういう疑問すら抱かせない。
本当はこのレビューを書く前に本人に軽く制作周りの環境なども質問しようと思ったのだが1曲目を聴いて、10秒くらいで質問する気すら失せた。
一流の絵画を見るときにどこの絵の具で、どの筆を使って、とか、そういうことにはほとんど気が回らないのと同じである。
以前彼と話をした時に彼自身世界的に有名なミュージシャンのあこがれであるバークリーで音楽を学んだが、その後あえて電子音を中心とするダンスミュージックの世界に入ったのも、そこに可能性を感じたから、と言っていた。
ピアノや弦楽器、打楽器様々なオーガニックな楽器は存在するが、彼はあえて電子音楽を選んだ。
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人類音楽史の中でも、電子楽器は、匿名性のある楽器として認識されている部分が多い。
どういうことかというと、プレーヤー、コンポーザーにかかわらず、あるパラメーターを指定すれば同じ音がでる、という理屈である。
だから、誰がやっても同じ音が出るから匿名性があるというわけである。
それは事実だと思う。
しかしながらKaitoの活動は一貫してそこに挑戦しているのだ、とこのアルバムを聴いて改めて感じさせられた。
このアルバムを聴いて、電子音は匿名性があるなんて間違っても言えないような気にさせられる。
そこにはカラヤンのコンダクト、マイルスのトランペットや、ジミヘンのギターと同列の有機性があるのだ。
普段生活をしていて静電気によってパチっと音がすることがある。
静電気のたとえは極論ではあるが、電子楽器はその音に音階を付けたり、長さを伸ばしたりしてできている、と説明すると、機材に疎い方でもなんとなく想像がつくかもしれない。
そう考えると、本来電子音も有機的なオーガニックなもので、ピアノやトランペットと差別化するべきものではない。
だから本作を聴いていても電子音は地球が生み出す自然の音だと認識させられる。
1音1音が、記号ではなく生き物として存在しているのだ。
ジミヘンがギターを抱きしめて眠っていたという逸話があるが、Kaitoは電子音を抱いて毎晩眠っているのかもしれない。
【楽曲ストリーミング時代にとんでもないオペラが完成した。】
前述したが、今のトラックメイクシーンは毎日おびただしい楽曲がリリースされている。
アナログレコードの時代からCDになり、楽曲ダウンロードスタイルが勃興して、現在はストリーミングサービスが主流になりつつある。
そうしたリスニング環境の変化の中で楽曲の楽しみ方も変わった。
収録の制限がなくなり、1曲1曲、リスナーが聴きたい曲を選んで楽しむ時代になっている。
逆説的に言えばアルバム全体で何かを表現する、要するに複数楽曲をまとめて提示して1つの表現を提案する、というスタイルはどんどん減りつつある。
私はそのリスニングスタイルの是非を主張したいわけではない。
それによってアルバムという概念が消失しつつある中で、絶対的な時間が生み出す表現のダイナミズムが失われつつあるということだ。
時代が変わっても1日24時間しかないのは、この世界に住む大体の人が認識していることだと思う。
現代人は昔に比べて時間の価値が、高まっているとはよく聞くが、それに伴って、相対的にアルバムの時間負荷をどんどん重くなっているのである。
だから、現代の音楽ファンに対して、アルバム丸ごと10曲とか20曲聴かせることは、至難の業といえなくもないだろう。
そんな背景の中で、Kaitoの本作「Nokton」は、アルバム丸ごとあなたの貴重な時間を預けるに値する稀有な作品といえる。
単曲としても素晴らしいトラックは数多くあるが、本作はアルバム丸ごとの塊として受け取る価値がある楽曲群となっている。
アルバムにおける曲順の並びの重要性は今の音楽シーンでかなり失われつつある部分であるが、本作では、曲順の並びがDJ的というか、もはや映画的オペラ的ですらある。
音楽は時間のあゆみ軌跡である。
聴けば聴くほど時間が経っていく。
1歩1歩歩いていくと、いろんな景色や匂い、五感で感じるものが変化していく。
アルバムの曲順、例えば古くはクラシック音楽の楽曲展開、これはリスナーを世界観に入れ込む上で大変重要である。
本作はその楽曲の並びに関しても大いにストーリーを感じることができる。
時間負荷が高い現代でもリスナーは大いにKaitoが生み出す楽曲群に没入し、そして、Kaitoはその世界観から離さない。
Kaitoの本作を手に入れるということはオペラのチケットを買うようなものである。
【2MIXの限られた制限の中で飛び回る世界遺産トラックメーカーKaitoの「Nokton」を体験してほしい。】
私の経営するOTAIRECORDは現在楽器機材販売のほかにもともと行っていたアナログレコードも販売している。
今現在もほとんどすべて私がバイヤーを行っている。
だから仕事が終わっても毎日のように腐るほど音楽を聴いている。
この仕事を続けている限りそれは呼吸をするのと同等な行為だと思っている。
そういった中で、この作品は久々にアルバム単位でワールドクラスと胸を張って言える日本人アーティストの作品だと断言できる。
私自身こんなに一気に没入してアルバム単位で聴ききれた作品は久しぶりだったし、このようにレビューを書きたいと思ったのも冒頭にあげたエピソードがあるからというわけではない。
「アルバムの概念が薄れつつあるストリーミング時代」
「楽曲制作におけるキュレーション時代」
いつの時代もその時代の音楽シーンに一石を投じる、強烈なメッセージを持った作品というのが存在する。
そういう意味でKaitoの「Nokton」は時代に対するアナーキズムの象徴であり、強烈なメッセージを含んだ劇薬ともいえるのではないだろうか。
末筆になるが、現在KaitoことHIROSHI WATANABEに私の経営するOTAIRECORD MUSIC SCHOOLにて楽曲制作のクラスを請け負ってもらっている。
今、実は自分はその事が罪深くすら思えている。
こんなアルバムを産み出すモンスターに戴して、私はなんと大それたことをお願いしてしまった、と、震えているくらいだ。
それと同時に私の中で、誇りと責任感があふれている。
偉大な作品はいつだって人の心を動かす。
どうかあなたも、2MIXの限られた制限の中で飛び回る世界遺産トラックメーカーKaitoの「Nokton」を体験してほしい。
2019/11/7 自宅スタジオにて
OTAIRECORD ようすけ管理人