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カトリーナ被災者支援チャリティのご協力の御礼。
OTAIRECORDようすけ管理人でございます!

米南部を襲った大型ハリケーン「カトリーナ」により被害にあわれたかたがたの一助となるべくチャリティステッカーを作成し販売させていただきましたが、期限により販売は終了させていただきました。

これに伴いまして、皆様にお買い上げいただいたステッカーの売り上げから原価を引いた金額を募金させていただきました。
また、原価分に関しましても、当初の予定を変更し、全て募金する事にいたしました。
皆さんのご協力の事を思えば原価を除いてなんてせこいこと言ってたらだめだって思えたからです。

今回はニューオリンズ市が、特に被害にあった事もあり、多数の音楽ファンの方にご協力いただきました。

実は結構この企画他にたくさんクローズアップさせてくれという引き合いもありました。
しかし、私たちはオタレコの中で今回はまずやりたかったのです。

やはり、皆様とは音楽でつながらさせていただいているだけに、私はあつかましくも、
皆様を信じて、この企画を立ち上げました。「きっとオタレコのお客様だったら熱い音楽魂をお持ちの方がたくさん見えるに違いない」と思っていたのです。

結果ですが、たくさんの方にご協力いただけました。

本当にありがとうございました!

また、ステッカーをデザインしてくれた、ina、このページを作ってくれた、ya-su、minoruなどオタレコスタッフの皆様、そして、こういうことをやらせていただけたうちの社長にも感謝します。

みなさんの善意の心は間違いなく、募金という形でお届けさせていただけました。

2007年2月14日付けにて、ハリケーンカトリーナ被災者支援
チャリティーステッカーの売上金74300円(ステッカー231枚・原画1枚)を、ハリケーンカトリーナ募金支援実行委員会の口座にお振込みさせていただきました。

募金には、「ハリケーンカトリーナ募金支援」サイトを通じてmusic care財団に寄付されます。

下記に「ハリケーンカトリーナ募金支援」サイト実行委員長田中様より感謝の言葉をいただきました。

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ハリケーンカトリーナ被災者支援チャリティーステッカーお買い上げのお客様へ

はじめまして。
ハリケーンカトリーナ募金支援実行委員会の委員長をしております田中と申します。
このたびは OTAIRECORD様のご協力により 「ハリケーンカトリーナ被災者
支援チャリティーステッカー」の売り上げを 私どもの窓口に募金いただきました。
ステッカーをお買い上げ戴き募金支援にご協力いただいた皆様に心からお礼申し上げます。
OTAIRECORDS様には、ステッカーの原価を差し引くことなく売上金すべてを
募金戴き本当に感謝しております。
皆様からお預かりした募金は アメリカの「MusiCares」というミュージシャンを支援する団体の「ハリケーンカトリーナ支援」の窓口に送金いたします。
次の送金は3月になる予定です。送金いたしましたらサイトにてお知らせいたします。

私自身、ミュージシャンでありニューオリンズには多くのミュージシャンの友人もいますので、被災地には人一倍の思い入れがありますが、ジャズの発祥地というだけでなく
ソウル、ブルース、ファンク、ロックンロール、そしてブラスバンド、セカンドラインといった現地に根付く特有の音楽から恩恵をうけた方もたくさんいらっしゃると思います。
昨年の冬に現地まで足を伸ばしましたが、復興にはまだまだの状況で、家に戻れていない
ミュージシャンも依然多く、オープンしていないライブハウスもたくさんあります。
遠く離れた日本からではありますが、地道に支援の活動を続けていきますので、今後とも
ご協力のほどよろしくお願いいたします。
お一人お一人に お礼が申し上げられませんが、この手紙で皆さんに感謝の気持ちを
お伝えできたらと思っています。ありがとうございました。

2007年2月
                ハリケーンカトリーナ募金支援実行委員会委員長  
                office KARASUAMA 代表   田中 名鼓美

                            
ハリケーン「カトリーナ」募金支援サイト

MusiCares
 http://www.grammy.com/MusiCares/Hurricane_Relief/partners.aspx#socialservices
このページの MusiCares Hurricane Relief Fund Partners  
というところに office-karasumaの名前が掲載されています。


******

というありがたいお言葉をいただきました。田中様ありがとうございました。
(田中様自身もミュージシャンもやっていらっしゃいます。お電話でしかお話した事はないのですが、すばらしい方です!)



というわけで、皆様今回はご協力ありがとうございました!

オタレコはもちろん商売だから、お金儲けはしたいけど、それだけじゃなくやっぱ音楽が好きでやってるので、今回は皆様の音楽に対する気合にふれて、本当にオタレコやってよかったなって思っております。

しかし、もちろんカトリーナ以外にももっともっと困ってる人はたくさんいるわけで、今回の件をきっかけに、また何かありましたら、皆さんにもご協力をお願いするかもしれません。

では、皆様本当にありがとうございました!オタレコ一同深く感謝しております!


2007/2/24 OTAIRECORD ようすけ管理人



 
 / 販売終了
●サイズ / 55mm×91mm(名刺サイズ) 

スペシャルチャリティ

こちらの原画(ペン画)を額に入れて販売いたします。
5,000円 /Sold Out!
*(こちらも同様に利益全額寄付いたします。)

米南部を襲った大型ハリケーン「カトリーナ」により、


多くの方が被害に遭いました。


多くの街が被害に遭いました。



その中でも、ルイジアナ州ニューオリンズ市は
市内の8割が冠水した被害が大変大きい地域です。



音楽好きのあなただったら、何したいかわかりますか?



そう、ニューオリンズは、JAZZ発祥の地といわれ、音楽好きにとって特別な場所です。



もちろん、募金が必要なのは、この事件だけでもないし、この地域だけでもありません。



しかし、ニューオリンズは音楽に密接に絡んでる地域ですし、
ここは、うちのような極度の音楽狂い!?が集まるお店がやらなきゃ!!

、、、、って思ったんです。



んで、ただお金入れてくださいってのも、あれなんで、
ステッカー作りました。チャリティステッカーです。



1枚300円にしました。
制作費以外の売り上げは、
全額寄付させていただきます。



よかったら、レコード買ったついでに、買ってってください。


OTAIRECORD ようすけ管理人




トランペットの色は希望の光と明るい未来。

ニューオリンズのシンボルのタワーと月。

被災者へのメッセージはご自分の言葉でステッカーに書き込んでください。

ina☆
[ina☆ profile] 1983年愛知県生まれ。 地元名古屋を中心に、様々な分野にイラスト、デザインなどを提供している。自身がDJをこなしている事もあり、クラブカルチャーからの支持も多い。また、野外やクラブなどにおいてライブペイントなども積極的にこなしSTREETに密着した活動を行っている。繊細なタッチに、ポジティブからメランコリックまで幅広い独特な色使いと同時に、どこか人間味を感じさせるイラストには、多くの若者に支持を得ている。




ブッシュ米大統領は31日、米南部を襲った大型ハリケーン「カトリーナ」の被害を受けて、ホワイトハウスで関係閣僚会議を開き、戦略石油備蓄(SPR)の放出を認めるなどの総合対応策をとりまとめた。


大統領は会議後、「米国史上最悪の天災の一つ」と記者団に語り、「復旧には数年かかる」との見通しを示した。死者数は「数千人に上る」(ニューオーリンズ市長)との見方も出ており、01年9月の同時多発テロ以来の被害規模になりそうだ。


 被害はメキシコ湾沿岸のミシシッピ、ルイジアナ両州に集中。通信が復旧していない地域もあり、被害の全体状況が把握できないため、大統領は死者数や被害規模については言及しなかった。


 現地からの報道によると、市内の8割が冠水したニューオーリンズのレイ・ネーギン市長は31日、死者は同市内だけで「少なくとも数百人だが、おそらく数千人になりそうだ」との見方を示した。


同市では浸水が高さ約7メートルに及ぶ地域もあり、人口約50万人の大半が避難。2州を中心に「ホームレス(避難生活者)は100万人に達する」(CNNテレビ)とみられている。ミシシッピ州(約290万人)の約75%の世帯が停電したという。


市内の8割が冠水したルイジアナ州ニューオーリンズ市などでは、住民が避難して無人化した店舗街などで略奪が横行。銃撃で負傷者も出たという。当局はヘリやボートを動員して被災者の救出を続けているが、電気や水道などの復旧はめどがたたず、被災者を再避難させる動きも始まった。犠牲者は数百人にのぼる恐れがあり、過去数十年で最悪といわれる被災の実態把握に当局は懸命だ。


堤防が決壊して市内の8割が水没したままのニューオーリンズでは、30日に町の各地で略奪が始まった。現地からのテレビ映像によると、群衆が無人のスーパーマーケットの入り口のドアを破壊し、店内から食料品などを次々に持ち出した。宝石店や電器店なども被害にあった模様だ。


 観光名所のフレンチクォーターでも略奪が横行。警察当局は被災者の救援などに追われ、店の警備や治安維持に手が回らない状態という。同市は人口48万人の大半が避難。「ゴーストタウンと化した商店街は無法地帯となった」といわれる。


 略奪は他の都市でも起きており、ミシシッピ州ジャクソンの地元局の記者は、CNNテレビに「通りに出ると『水はあるか、現金はあるか』と襲われる危険があるため、取材もできない」と話した。


 略奪者の間で銃の撃ち合いも起きており、ニューオーリンズ市警察当局によると、警官1人が略奪者に頭部を撃たれて病院に運ばれた。自動車の襲撃も少なくなく「まるでイラクの戦場だ」と略奪の目撃者は現地メディアに語った。





 音楽の町ニューオリンズは世界中から音楽ファンが集まる、ミュージック・キャピタルであります。



 ジャズは、20世紀のはじめ、アメリカ南部のニューオリンズで生まれました。
 港町であるニューオリンズには、さまざまな民族や文化が集まり、共通のコミュニケーションの方法として音楽が用いられるようになります。



 そして、いろいろな文化の違いを大切にしながら、新しい音楽としてつくられていったのがジャズです。



 ジャズは、その後、アメリカ文化のひとつとして急速に広がり、ニューオリンズをはじめ、カンサス・シティ、シカゴ、ニューヨークといった都市で栄え、次々と新しいスタイルを生み出し、たくさんの名演奏を残してきました。






 ジャズ発祥の地は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのルイジアナ州ニューオリンズだと言われています。

 世界中の民族や文化が集まる港町ニューオリンズは、黒人や白人、またクレオール(黒人とフランス系白人との混血)などの音楽文化が混在していました。

 これらの労働歌、ブルース、ゴスペル、軍歌ブラス・バンドといった音楽に、オペラや室内楽などのヨーロッパの伝統音楽や黒人霊歌などのアフリカの伝統音楽の要素が加わり、アメリカ独特の新しい音楽表現として生まれたのがジャズです。

 1917年には、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドによる史上初のレコードが録音、発売され、“ジャズ”という言葉は不動のものになりました。

 そして1910年代が終わり、この時代に成長をとげたルイ・アームストロングがニューオリンズをはなれる頃、ジャズの拠点もシカゴへと移っていきます。





●ラグタイム(Ragtime)

●ニューオリンズ・ジャズ (New Orleans Jazz)

●ディキシーランド・ジャズ(Dixieland Jazz)






●キング・オリバー / トランペット
King Oliver (trumpet) 1885〜1938

●ジェリー・ロール・モートン / ピアノ
Jelly Roll Morton (piano, composer) 1885〜1941

●ルイ・アームストロング / トランペット
Louis Armstrong (trumpet) 1900〜1971






 1920年にジャズの拠点となったシカゴでは、ルイ・アームストロングが第1期黄金時代を築きました。

 そして、黒人ジャズの活躍と同時に、“シカゴ・ジャズ”と呼ばれる白人主体のジャズも登場して人気を博していきます。

 また、ニューヨークのハーレムでは、多くのジャズ・シーンが形成されていき、ニューヨークがジャズのメッカとなる下地がつくられていきました。

 1930年代中頃、大恐慌による不況時代から徐々に景気が回復してくると、人々は明るく軽快な音楽を求めるようになり、ダンス・ホールを拠点にスイング・ジャズが台頭します。

 1935年には、ベニー・グッドマン率いるバンドがハリウッドのステージで大成功をおさめ、スイング黄金時代は幕を明けました。

 当時のスイング・ブームの立役者は、グッドマンをはじめアーティー・ショウ、トミー・ドーシーらの白人バンドが中心でした。

 また重要なボーカリストも数多く活躍しています。
幅広い層に熱狂的に受け入れられたスイングは、アメリカの象徴的音楽として、ジャズを広く大衆に定着させたといえるでしょう。





●カンサス・シティ・ジャズ(Kansas City Jazz)
  
 チャーリー・パーカーが生まれた町として知られる中西部の街カンサス・シティは、1930年代に
カウント・ベイシーやジェイ・マクシャンなど多くのビック・バンドの温床となりました。
 特徴はリハーサル時に口頭でアレンジを指示したりするシンプルな“ヘッド・アレンジ”のリフを
アンサンブルで執拗に繰返すところにあり、バンドが一丸となってスイングするところがこのスタイルの醍醐味。
 スイング全盛期、多くのバンドがこのスタイルを踏襲しました。


●シカゴ・ジャズ(Chicago Jazz)

  ニューオリンズからシカゴに移ってきた黒人ミュージシャンの影響をうけて、1920年代からシカゴの白人ミュージシャンたちが演奏したジャズのことを指します。マグシー・スパニア、ジミー・マクパートランド、エディ・コンドンらに加えてビックス・バイダーバックもこのスタイルの仲間の一人と考えられています。
 シカゴ派は禁酒法施行(1920〜33)下のスピーク・イージー(潜りの酒場)を舞台に活躍しましたが、やがて多くのミュージシャンたちはニューヨークへと移動していきました。


●スイング・ジャズ(swing Jazz)

 ジャズ演奏のリズムを形容する言葉で、はずむようなリズム、明るいサウンド、反復のフレーズが特徴とされています。

 社交ダンスと結びついて、ブームとなった1930年代には、ジャズそのものを示すようになりました。

 白人ミュージシャンが中心で、専属のボーカリストがポップな曲を歌いました。





●ベニー・グッドマン / クラリネット
Benny Goodman (clarinet) 1909〜1986


●カウント・ベイシー / ピアノ
Count Basie (piano) 1904〜1984


●デューク・エリントン / ピアノ
Duke Ellington (piano, composer) 1899〜1974


●トミー・ドーシー / トロンボーン
Tommy Dorsey (tromborne) 1905〜1956





 1940年代初頭にミュージシャンたちがハーレムのジャズクラブ「ミントンズ・プレイハウス」などで繰広げたアフター・アワーズのジャム・セッションから始まったニュー・スタイルがビバップです。ビバップは、メロディやハーモニーやリズムの面に革新的なアイディアを導入して、後のモダン・ジャズへと発展していきます。

 スイングとはさまざまな点で対照的だったビバップは、当時の気鋭の若手黒人ミュージシャンが中心となって実践されました。

 そして、その新しいスタイルはそれまでの踊るための音楽から聴くための音楽へとジャズの芸術的価値を高める運動にもなりました。

 その後、ビバップをもとに理知的な印象のクール・ジャズが試みられ、1950年代に入ると西海岸のカリフォルニアでは明快なサウンドのウエスト・コースト・ジャズが人気を博します。

 ニューヨークを中心にした東海岸ではファンキーなハード・バップ/イースト・コースト・ジャズが勢力を高めます。

 1950年代後半期は、いわゆるモダン・ジャズの黄金期で、ジャズが文学や映画や演劇など他の芸術分野と結びついて世界的に人気を盛り上げたのもこの頃です。





●ビバップ(Be Bop)
 
 1940年代の半ばから後半にかけて隆盛したジャズの新しいスタイル。
バップとも呼ばれる。

今日のモダン・ジャズのルーツで、跳躍するメロディ、より複雑なコード進行、
オフ・ビートを重視したアクセントの強いリズムなどが特徴で、当初、伝統派からは非難されていました。

 1940年代の初頭から黒人の若手ミュージシャンが中心となって確立されていきましたが、1940年代後半には多くの白人ミュージシャンも演奏するようになりました。


●クール・ジャズ(Cool Jazz)

  1940年代の終わりに登場してきたスタイルで、ホットかつエキサイティングで超絶的な技巧を要求するビバップを別の角度から表現しようと試みました。

 サウンド・テキスチャーを重視したマイルス・デイビスの実験アルバム『クールの誕生』(1948年)は、その代表です。

 クールな感触と理知的なアレンジによるアンサンブル、エモーションを抑制したソロなどで、この試みに参加したジェリー・マリガンやリー・コニッツらは、やがてクールやウエスト・コースト・ジャズの立役者になりました。


●ウエスト・コースト・ジャズ(West Coast jazz)
 
  1950年代中頃、ロサンゼルスなど西海岸で白人ミュージシャンを中心に演奏されたモダン・ジャズ。

 スタン・ケントンやウディ・ハーマン楽団などの出身者を中心に、洗練された演奏テクニックと緻密なアレンジ、カリフォルニアのドライで明るい風土が感じられる明快なサウンドで、独特のスタイルが生み出され、マリガンやチェット・ベイカー、アート・ペッパーら人気スターが輩出しました。


●イースト・コースト・ジャズ(East Coast jazz)

 西海岸のウエスト・コースト・ジャズに対応してできた呼び名で、1954年から数年間、ニューヨークで主に黒人グループが演奏したモダン・ジャズを指します。

 編曲を重視した西海岸派のジャズに対して親しみやすいテーマ・メロディと赤裸々にエモーションをたたきつけるエキサイティングな即興演奏が主体のスタイルで、ブルースやゴスペルの要素も採り入れて、ファンキー・ジャズともハード・バップとも呼ばれています。





●チャーリー・パーカー /  アルト・サックス
Charlie Parker (alto sax) 1920〜1955


●ディジー・ガレスピー / トランペット
Dizzy Gillespie (trumpet) 1917〜1992


●セロニアス・モンク / ピアノ
Thelonious Monk (piano) 1920〜1982


●ケニー・クラーク / ドラムス
Kenny Kleark (drums) 1914〜1985





 1960年代に入るとジャズの形式や表現そのものを見直そうという動きがジャズ界で顕著になります。

 そして、それまでのジャズの伝統的な手法や枠組といった約束ごとにとらわれず、自由にエモーションを表現しようとするフリー・ジャズ(ニュー・ジャズとも呼ばれる)が登場しました。

 これは、ますます複雑になってきたコード進行やリズムをシンプルにして、よりメロディー・ラインを重視した即興演奏を追求するモード(旋法)を導入することで、新しいジャズ・スタイルとして浸透していきました。

 また、1960年代に入って登場したエレクトリック・キーボードなど電化楽器がジャズ界でも注目され始め、ジャズは次第に電化楽器のサウンドとロックやポップスのエネルギーを取り込んでいきます。

 そして、さまざまなジャンルの音楽の要素と結合し、1970年代の開幕とともに、ジャズはフュージョン(融合)の時代へと突入しました。

 そしてさらに、“ポスト・モダン”──モダン・ジャズ以降の現代のジャズは、クラシックや世界の民族音楽などとも結びつきながらますます多様な発展を遂げつつあります。





●フリー・ジャズ(Free Jazz)

 1960年代、現代音楽から影響を受けた前衛的な手法を取り入れたジャズ。

 コード進行、調性、リズム、アンサンブルの約束事など既成のジャズの概念に拘束されないスタイルが特徴です。

 非商業主義、反体制的なアプローチが基盤になっており、オーネット・コールマンのダブル・カルテットによるアルバム『フリー・ジャズ』(1960年)の登場で、広く知られるようになりました。

セシル・テイラーやジョン・コルトレーンもこの分野での活躍で有名です。


●モード・ジャズ(Mode Jazz)
 
 1950年代の中頃から理論家で作曲家のジョージ・ラッセルらによって追求されてきた即興演奏の手法のひとつ。

 マイルス・デイビスが『カインド・オブ・ブルー』(1958年)で実践し、スタイルを確立しました。

 従来からの複雑な和声進行から解放され、特定のモード(音階)を使って演奏でき、演奏者はより自由に創造性の発揮に集中できるということで1960年代に入って急激にジャズ界に広まりました。


●フュージョン(Fusion)

 “フュージョン”には「融合」「溶解」といった意味があります。

 1960年代の末、ジャズにロック、ポップス、ソウル、クラシック、ワールド・ミュージックなどさまざまな音楽の要素を融合させる試みが盛んになりました。

 キーボード、エレクトリック・ベース、ギター・シンセなど先端的な電化楽器の導入を試みることで、ジャズは再び異種文化の結合という初期のルーツに先祖帰りをしたことになったのです。





●マイルス・デイビス / トランペット
Miles Davis (trumpet) 1926〜1991


●アート・ブレイキー / ドラムス
Art Blakey (drums) 1919〜1990


●オーネット・コールマン / アルト・サックス
Ornette Coleman (alto sax) 1930〜


●ジョン・コルトレーン / ソプラノ&テナー・サックス
John Coltrane(soprano & tenor sax) 1926〜1967