世界に愛された伝説のバンド!ザ・ビートルズ特集。

全世界の人々に愛された伝説のバンドThe Beatlesの特集です!!


デビューから50年以上たった今でも世界中の音楽ファンの心を掴んで離さない伝説のバンドThe Beatles。
今回は商業的な利益に留まらず、後の音楽シーンにも多大な影響を与えてきた彼らの特集です!

ビートルズとは...


THE BEATLES
イギリス・リヴァプール出身のロックバンド。

1962年10月にレコードデビュー。

バンドの活動期間内に母国イギリスで多数ののオリジナル・アルバムを発売し
その内11作が全英アルバムチャートで週間1位を獲得した。

アメリカを初め各国でも高いセールスを記録しギネス・ワールド・レコーズに最も
成功したグループアーティストと認定されている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」に
於いて第1位に選出されている。

ビートルズは元々クオリーメンという名称で1957年に結成。

それ以降はジョニー&ムーンドッグス、ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ、
シルヴァー・ビートルズと改名を繰り返しており、ビートルズと改名するまでに
複数のメンバーが入れ替わっている。

1970年4月に事実上解散。

バンドメンバー



今現在どのメンバーもすごい功績を残してきたビートルズですが
どんな人物たちだったのでしょうか。

ポール・マッカートニー
ポール・マッカートニー
シンガーソングライターであり、世界で最も有名なポピュラーミュージシャン、
シンガーソングライターの一人。

親しみやすく美しいメロディの作風に特色があり、ビートルズ時代においては
「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」など、
ビートルズの代表曲と言われる楽曲の多くを作詞作曲した。

性格としては非常にストレートで完璧主義として有名。

デビューから50年以上経過した2013年現在でも現役ミュージシャンとして
第一線で活動している。


ジョージ・ハリスン
ジョージ・ハリスン
ビートルズのリードギタリスト。
ソロでは、「マイ・スウィート・ロード」や「ギヴ・ミー・ラヴ」
「セット・オン・ユー」などをヒットさせたほか、
『オール・シングス・マスト・パス』(1970年)は、ロック・アルバムの
金字塔として高く評価されている。

前期ビートルズでは静かな性格もあり作曲能力を軽く見られがちだったが
後期では他楽器を導入していくなど独自の才能を開花させていった。

インド音楽とロックの融合を試みて、後のラーガ・ロックに大きな
影響を与えた。

また、後期には初期の型のシンセサイザーをいち早く導入している。


ジョン・レノン
ジョン・レノン
ビートルズのリーダー。
ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソング
ライティングチームを組み、大半の楽曲を製作した。

ビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で
芸術家のオノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動した。

1980年12月8日23時頃(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパート
「ダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性により射殺された。


リンゴ・スター
リンゴ・スター
ビートルズのドラマー。
代表曲に「想い出のフォトグラフ」「明日への願い」などがある。

左利きだが右利き用のドラム・セットを使っている。

ビートルズのメンバーの中で最も穏やか、かつ人格者であったことでも知られ、
彼の存在なしではグループの解散がもっと早まっていたと言われている。


ビートルズ豆知識!


あなたはビートルのこんな話しを知っていますか?

アップル × アップル!?
米アップル・コンピューターの創立者の一人、スティーブ・ジョブズは、
ビートルズとジョン・レノンの大ファンで、アップル・コアに
あやかり自社をアップルと命名したそうです。

犬にしか聞こえない音を収録!?
ビートルズのA Day in the Lifeのエンディングの後に
無音状態が続くのですが、その部分は犬にしか聞こえない周波数の音が
録音されているらしいです。

ドラム代わりに膝を叩いているだけの曲がある!?
I'll Follow The Sunのパタパタという音がしているのは、
リンゴは自分の膝を叩いて演奏しているそうです。

Hey Judeのドラムパートが2番から始まるのは1番の
ところでリンゴがトイレに行っていたから!?

トイレへと席を立っていたリンゴが、戻ってきて2番からドラムを
重ねてきたところ、ポールが「このテイクはいける!」と感じたそうです。

ビートルズをレコードで聴いてみよう!



数々の名曲が出回っているビートルズですが、せっかく聴くなら
レコード特有の、温もりある音で聴いてみては如何でしょうか?

きっとビートルズをもっと好きになれるはずです!

THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP 180g重量盤) REVOLVER THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP3枚組 180g重量盤) タイトル名:オン・エア〜ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2 (品番:TYJP-60001/3) THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP 180g重量盤) タイトル名:Yellow Submarine
THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP 180g重量盤) タイトル名:Please Please Me THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP 180g重量盤) タイトル名:Magical Mystery Tour BEATLES(4lp/180g重量盤) BEATLES WHITE ALBUM【限定生産デラックスエディション】
THE BEATLES(7inch) イエローサブマリン【直輸入仕様/完全生産限定盤】 THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP 180g重量盤) タイトル名:マジカル・ミステリー・ツアー (TOJP-60189) THE BEATLES (ザ・ビートルズ) (LP 180g重量盤) タイトル名:ビートルズ・フォー・セール (TOJP-60184)
BEATLES (ビートルズ) (7inch) タイトル名:ラヴ・ミー・ドゥ (TOJP-40002) THE BEATLES (ビートルズ) (LP 180g重量盤 + CD) タイトル名:THIS IS... THE SAVAGE YOUNG BEATLES: HAMBURG 1961 【世界限定1500枚プレス!!】 BEATLES (ビートルズ) (LP2枚組 180g重量盤) タイトル名:LOVE
THE BEATLES(2LP/180g重量盤) 1967-1970【2014年リマスター、ヨーロッパ盤】 THE BEATLES(2LP/180g重量盤) 1962-1966【2014年リマスター、ヨーロッパ盤】 THE BEATLES(LP) THIRTY WEEKS IN 1963【ピクチャーバイナル仕様!】
 
THE BEATLES(LP 180G重量盤) RUBBER SOUL THE BEATLES FEATURING TONY SHERIDAN (LP) IN THE BEGINNING  


ビートルズ関連の映像。



あの名曲の映像作品やライブ映像です。
演奏を見るとより一層世界観が増しますね!


Australia Concert


Don't Let Me Down


Revolution


Yellow Submarine (Trailer)


1963 TV Concert: It's The Beatles Live


The beatles 日本公演 前座

解散後。



↑ビートルズの事実上ラストライヴ。それもゲリラ・ライヴ。


金銭面、マネージャーの死、経営不安、個々の孤立など様々な要因が重なり
1970年4月に法廷で正式にビートルズは解散。


解散直前にスタンダード・ナンバーを集めたソロ作品センチメンタル・ジャーニーを発表していた
リンゴは解散後、ソロ・ミュージシャンとしての活動を始動する。
同年には2ndアルバムのカントリー・アルバム発表し、ボークー・オブ・ブルース、
明日への願いも発表ヒット・チャートを賑わした。
1973年発表のリンゴは全米1位にランクイン。
ビートルズ解散以降初めて、4人のメンバーが1枚のレコードの中で名を連ねた。
(各メンバーが楽曲提供と演奏で参加)
ジョージ・ハリスンとの共作曲「想い出のフォトグラフ」や「ユア・シックスティーン」は、
全米チャートでナンバーワンを記録1970年前半は精力的に活動しヒットチャートを震わした。
途中アルコール依存などに悩まされた彼も近年では治療を経て精力的に創作活動に臨み、
数枚のアルバムを発表している。


ビートルズの中でもっとも発に音楽活動を展開したジョージは
多くの評論家から「ビートルズを解散して最も得をした元ビートル」と評された。
本格的な初のソロ・アルバムとなった『オール・シングス・マスト・パス』は異例のLP3枚組
として発売されたにも関わらず全米/英のアルバムチャートで7週連続1位となる大ヒットを記録。
シングル「マイ・スウィート・ロード」も米英それぞれ4、5週連続No.1となるなど
書きためていた曲を一気に放出。
伝説のプロデューサー、フィル・スペクターの見事なプロデュースと相まってその完成度の高さ
から、今も画期的なロック・アルバムとして評価されている。
1977年以降、音楽以外の活動にも興味を示すようになり副業として始めた映画制作の仕事で
大きな成功を収める。
その後も様々なトップ・ミュージシャンとの共演や賞の受賞を得てきた彼だが、くしくも
2011年11月29日(日本時間11月30日早朝)、肺癌のため彼は滞在先のロサンゼルスで死去。


ビートルズの解散騒動の一週間後にポールはソロアルバムのマッカートニーを発表した。
その後発表されたアルバムのラムの収録曲「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」は
1972年度のグラミー賞で最優秀アレンジメント賞を獲得した。
ポールと妻リンダ・マッカートニー、元ムーディー・ブルースのデニー・レインの3人を中心に
構成されたロックバン、ウィングスを結成し活動。
1981年4月のデニー・レインの脱退表明によって自然消滅に近い形で終焉を迎える。
ソロ・アーティストとしての活動を9年ぶりに再開。
10年ぶりとなるソロ名義のアルバムのマッカートニーIIと先行シングル、カミング・アップで
成功を収めた。
1990年4月21日のブラジル、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアム公演では
18万人以上の観客を集め、有料コンサートの観客動員数の世界最高記録を更新するなど
精力的に活動。
またポピュラー音楽以外のジャンルにも挑戦し初のクラシック作品リヴァプール・オラトリオ
を上演するなどして音楽の幅も広げていった。
近年でもオリジナルアルバム、ニューを発表するなど活動を続けている。


解散後ジョンはアルバム、ジョンの魂や、イマジンなどを発表しヒットを飛ばす。
その後活動の拠点をアメリカのニューヨークに移し多くの反体制活動家や
ミュージシャンと知り合い、政治的活動に積極参加した。
大麻所持で通常よりも重い10年間の禁固刑をうけた反体制活動家ジョン・シンクレアの
救済コンサートへの出演、アッティカ刑務所の入所者家族のための慈善コンサート
などが代表的。
チャック・ベリーや、スティーヴィー・ワンダーなど共演するなどして音楽活動も行う中
ジョンはヨーコとニューヨークで会見を開き、架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言した。
数々のヒットを飛ばしゴシップなど共に世間を騒がせていたジョンだが、1980年12月8日
スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した。
2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが拳銃でジョンに発砲。
ルーズヴェルト病院で23時過ぎに死亡した。

当時ジョンが住んでいたダコタ・ハウスには今でも追悼の意を込め訪れる人が後を
絶たないという。